займ на карту онлайн

言葉

 生活をしていく中で、特に集団生活をする中で言葉とはとても重要なものだと私は思います。

 自分の考えや思いを相手に伝える事ができる、これ以上ない優れた道具であるといっても過言ではないでしょう。あの有名な旧約聖書にあるバベルの塔も言葉を通じなくさせられ、建設をやめたとされているほど、言葉とは重要なものであります。

 ビジネス場においても人とコミュニケーションを取ったり、仕事上必要不可欠な報告・連絡・相談を行う上でも重要な役割を果たしています。そもそも、言葉とは集団生活の場ではなくてはならないものであります。

 また、集団生活にはいろいろな環境があります。職場はもちろんですが、幼稚園や小学校・中学校で、その時の友達や先生と過ごす日々も集団生活の一形態だと思います。

 特に私は小中高と学生時代の先生には非常に恵まれており、その時の集団生活はとてもよい思い出です。先生はいつもやさしく、時に厳しい、いい先生であったと心から思います。

 中でも小学校2・3年生のころの先生には私は非常になついていたように思います。まさしく、私にとっての恩師というべき方でした。そのことは私の母もわかっていたことかと思います。

 そして、私は幼少のころよりずっと剣道をしてきました。これも集団生活の一つと言えるでしょう。中学2年か3年生のころに大会がありました。中総体だったと思います。私も選手としてその大会に出場し、切磋琢磨してきた仲間に応援され、勝利をつかむ。その時の集団生活というものを満喫していました。そんな時、会場で母が私を呼びます。

 「ちょっと!ちょっと!」『何かな?』と思い行ってみると、親に連れられた私と同じ年のころの男の子がいました。母は「ほら!ほら!覚えとるね?」と若干興奮気味で私に聞いてきます。

 『えっ…だれ?』全く覚えがありません。私は幼少のころの仲の良かった人のことは結構覚えている自信はありましたが、それでも全く記憶にありません。

 「…いや…わからん…。」「覚えとらんね!ほら!」「マジ、知らんし…。」と母と言葉を交わす中、私は頭の中で記憶を探ります。本当に君は誰だ?幼稚園の時の隣のクラスのやつか?それともさっきの試合の相手か?と…。思い出すこともなく…。時だけが過ぎてく…。興奮する母と困惑する私。

 その場に若干気まずい空気が漂い始めたころ母が、『もうこの子は…』と言わんばかりの視線を私に向け、「この馬鹿はお世話になったのに覚えていませんよ。」とその子のお母さんらしき人に話しかけました。

 私もつられてその人のほうに視線をやると、そこには少しさびしそうな顔をした小学校の恩師姿が…。『…って、そっちかぁぁぁぁぁぁぁい!!』そりゃ男の子の方はわからんよ!会ったことないもん!てか最初から「○○先生よ!覚えとるね!」くらい言ってよ!なんで、ちょっとサプライズ感出そうとしたんよ。いらんよ、そんなサプライズ。伝えて!言葉で!集団生活で言葉って重要!!!(昇)

コメントは受け付けていません。


Top